いわゆる[社会]とは何か?-明星大学の講義から考える1️⃣

何故プログラミング教育をするのか

明星大学で春と秋に行われるITイベント、オープンソースカンファレンス。
決まったシーズンに各都市で行われるオープンソースカンファレンスだが、明星大学では大学らしいプログラムの一環として『コンピュータと学びのフォーラム』が開催されてきた。
2020年からプログラミング教育が小学生から義務化されるため、既に試験的に開始されている中学高校の実体験から、様々なプレゼンが発表されている。
2019年春の最後のセミナーは、山中准教授の『COPERU 実践報告:コードとアイディアを創発する組織的環境づくり』の講義が行われた。
このコンピュータと学びのフォーラムを通して行われた議論が「何故プログラミング教育をするのか」ということだ。
「プログラミング的思考」という言葉も出てきたが、ではプログラミング的思考とはどういうものなのか。
IT技術者が不足していると言われているが、果たして義務化した末にどの程度のプログラミングスキルを目指すのか。
こうした議論を通じ、実際問題としてはプログラミング実務を行うようなレベルに上げることは考えていないことがわかってきた。
同時に、このフォーラムで考えて行きたかったのが、いわばITというツールを使って社会とどのように関わっていくか、であった。

「考える」ということを考えるという言葉を使わずに表現する

小学校からのプログラミング教育の義務化も、いわば現場の教師は未経験分野だから、かなり必死で答えを模索している。
プログラミング教育の中でどんな感じで授業を進めて言ったら良いのか。
山中准教授が関わった中で「生徒に考えさせる」という表現をよく使っていた教員がいたそうだ。
そこで「考えるという言葉を使わずに考えるというものを表現してください」と言ってみたところ、だいぶ回答がなかったらしい。
そしてこの出題はもれなく私達受講者にもやって来ることになる。
「”考える”ってなんでしょうね?」
講義が進むにつれ、考えることはアイデアを出すというところまで進んだ。
『ではアイデアを出すというのはなんだろう?』という話になったのだ。
ここにおける最終的な回答は『アイデアとは既に有るものの組み合わせで有る』ということに纏まった。
変な話、私はキチンとした意味でプログラミングを学習したことは無いが、プログラム言語を使って何か製品(アプリやプラグイン)を作る時、if文(分岐)であるとかfor文(繰り返し)、他の関数を組み合わせたりしながら作っていく。


一時期手を出していたSwift。

いわゆる学校教育におけるプログラミング教育は、どちらかというと実務を意識したものではなく、問題解決能力の向上を目的としたものになっていくのかも知れない。
だいたいプログラミングという教科が生まれるわけではなく、他の教科に混ぜ込む形式でプログラミングを使うので、根本的に実務でやっていけるようなスキルは就職後になるのだろう。
この講義の後、一つ考えたことがあった。
例えば『社会』とは一体なんで有るのか。
このOSCの前日、勤務していた会社における自分の送別会参加するしないの話で、壮絶に上司とメールバトルを交わすことになった。
バトルを交わす中で上司に言われたことは要約すれば「社会人なら送別会に来てお世話になった人に挨拶しなよ」であるのだが、果たして社会人とはなんだろうか。
一般的に「社会人」というと、どうも会社員のことを指しているような気配がする。しかし、会社員になれば社会人なのかと言えば、そうでは有るまい。それは社会人ではなくて、会社人である。
となれば、社会人が何なのかを定義するためには、まず『社会という存在を社会という言葉を使わずに定義しなければならない』ということだ。
「社会人紀—私達は何者なのか」
まるでどこぞのコピペ本にありそうなキャッチコピー(コピペ本のキャッチコピーというのもまた変な感じ)だが、どうやらまず「社会」とは何なのかを定義しなければならないようだ。

いわゆる[社会]とは何か?-明星大学の講義から考える2️⃣に続く

 

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