日本の組織には<予防>という概念はない

日本の組織によくある2つの大きな過ち

児童の虐待に関わる犯罪でよくよく聞く動作の1つが、虐待児をそのまま親の元に帰してしまうと言った内容である。
「親から虐待されてるのに親の元へ帰してどうするんだ。」
「これ防げただろ。行政は何をやってるんだ。」
なんて話をよくよく目耳にする。
それでも毎度の如くどこかの自治体でおんなじ間違いを繰り返しており、この手の事件が0になることはない。
では一体なぜこんな間違いが繰り返されるのか。それは日本の組織が次の2つの過ちを犯しているからだ。

  • (他所で起きたことは)俺には関係ない
  • そもそも事故を未然に防ぐという観念はない

これは児童虐待に限った話ではないのだが、日本の組織と言うのは、根本的に<予防をする>と言う概念がないのだ。
例えば警察は事件が起きてからでないと動かないし、福島原発に至っては事故前に地震や津波でシビアアクシデントが起こることは指摘されていた。
そう。一回ミスしてみないとわからなかったリスク管理ならまだしも、事故前にわかっていたリスクすら放置してしまうのが日本の組織の体質なのだ。

是正するための仕組みも存在せず…

千葉で起こった被虐待児童の死亡事件は、本来なら確かに防げたはずだった。
しかし、残念ながらそれを本当に防ぐ手立てというのは、全くない。
こうした事件を防ぐ法制度などの仕組みは政府が主導していかなければならないのだが、政府にも是正するための仕組みはない(というか安倍政権に至っては彼ら自身の是正が必要)。
仮に法的整備をしても日本の組織は法律を守らない
嘘だと思うなら派遣法を遵守してる企業がどれだけあるか考えてみるといい。ほぼ皆無と言っていいはずだ。
いかんせん目に見えないルールがたくさんあり、明文化されたルールより目に見えない常識の方が拘束力がある
2017年に滋賀県草津市で2件の被虐待児の死亡事件が起きているが、京都新聞2019.1.31付けの記事を読む限り、虐待対応マニュアルには則っていなかった。恐らく明文化されたマニュアルより、非明文の『掟』の方が拘束力があったのでは無いだろうか。恐らく千葉県の被虐待児死亡事件も、なんとなく「親元に返すべき」という『掟』によって決まり、死亡事故に繋がったのではないかと考えている。

福島第一原発の事故について言えば、木村俊雄さんは海水浸水事故が起きた際、津波で電源をロストし、シビアアクシデントに繋がることを指摘していた。
だが、上司から「わかってるけどソレを言うのはタブーなんだ」と言われたことが、東電を退職するキッカケになっている。
そう。日本の組織の本質的な問題として、事件を<予防する>と言う観念がないのだ。
だから今後も同様の事件は防げないし、同じ過ちを繰り返し続けるのではないかと考えている。

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