川崎は今日も荒れている・・・

今日も川崎は荒れている。私が政治に深く関わるようになったには、川崎の会社に勤めて1年経った夏の事だ。
それ以前となると原発事故の時に「原発続けたら不味いでしょ」と言うくらいのもので、深く政治に関わると言うことは無かったと思っている。
強いて言えば石原慎太郎の事は尖閣諸島購入と「日本の領空を日本の飛行機が飛べないのはおかしい」と米軍基地に対し、抵抗の意思表示を示した点で支持していた事くらいだろうか。
ポリティカルコンパスをやると私は経済右派であり、Twitterの政治アカウントではこの座標に来る者は意外と少ない。
まぁ、小泉政権の残した負債を見るに「新自由主義はコリゴリ」と言うムードは、左右問わずある気がしている。
恐らく小泉進次郎もまたネオリベラリストでは無いかと思うのだが、少なくとも国粋主義系右翼からは嫌われているようだ。
脱線したが、私が今のように深く政治と関わるハメになったのは、ヘイトスピーチのせいと言って良い。
武蔵小杉で瀬戸弘幸らが川崎浄化デモをやると聞いて、私は現場へ駆けつけたのが始まりだ。

いまこの写真を見て「ああ、確かに有田議員はこの服だったな」と思い出せる。
そう。この時私は初めてリアルに国会議員という存在を見た。
当時は民進党で、今は立憲民主党にいる有田芳生議員。
この時はデモはほぼ正午には終わったから、多摩に戻って「会社と家の往復で終われる事もまた平和なのかもしれない」と考え込んでしまったものだ。
過去の津崎街宣動画も見たが、川崎という自分の会社の窓ガラス1枚隔てた向こうの世界の事さえ、私は知らなかったのだ。
翌年は真夏に民族浄化街宣が行われたが、この時は本来のルートからスタートせず、警官隊にカウンターは陽動され、マイクロバスでグランツリーまで移動してのスタートをしたのを覚えている。

2018年になってから私の主活動舞台はヘイトデモの現場から国会前に変わった。
気が付けば同年5月からは本格的な政治闘争に巻き込まれ、会社も変えなければならないほど激動の日々を過ごすことになったが、一体なぜ反政府系政治の闘争に巻き込まれることになったのやら。
ただ、一つだけ言えるのは、2016年にヘイトデモが小杉で行われることを知らなければ、今みたいに政治闘争に巻き込まれている事はなかっただろう。
今も何も知らないまま川崎で働き続けていた可能性が大である。
ヘイトデモは安倍政権が2013年に返り咲いた頃から勢いを増して言った。山谷えり子議員は在特会との癒着が問題になっていたし、安倍政権も当初は中国包囲網と言ってかなり意気込んでいた。
そうしたヘイト社会と安倍政権は無縁では無いと行き着いた結果、反政府系ツイッタラーと顔まで合わせるようになり、いよいよロビー活動までやるようになってしまった。
私の政治活動歴など既存の左派と比べれば遥かに浅く、中身も薄っぺらいのだが、WEBスキルを買われて政治争いに足を突っ込むようになってしまった。
全ての始まりの地が川崎だ。
そして、今日も川崎は荒れている・・・。

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