リベラルは本当に有権者を見下すのは止めた方が良いと思う件🈔

⇐リベラルは本当に有権者を見下すのは止めた方が良いと思う件❶から

政治無関心層も労働者である視点の欠如

いったいリベラルは何故に有権者を非難してしまうのか。まぁ負け続きで余裕がないからとうのが実際なのであろうが、それにしてもアメリカでのリベラル衰退の原因もまた有権者を見下す傾向があるからだと聴いたときは「なるほどな」と思ったものである。ある意味で日米ともにリベラルの人間は独特の選民思想があるのかも知れない。もちろん選民意識というのは何もリベラルだけにあるものではなく、右翼連中も持っているものであるが、右翼連中が「日本人(大和民族)」であることをベースに選民思想を構築していくのに対し、リベラルは自分の知識をベースに選民意識を構築していくというところだろうか。この辺のハッキリとしたことはよくわからない。
ただ「日本の無能な有権者が安倍政権を支えている!」とお怒りになる人達には時折「選挙に行かない人も労働で日本を支えている人達である」という認識が欠如しているのではないかという人を見かける。
いや、あまり言いたくないことであるが、ツイッターで知り合った人でリアルにて対面した人の中には、度々無断で遅刻をしてくる者がいた。
これがオフ会だの遊びの用事で遅刻するならまだ苦笑いで済ませるが、外部と折衝しなければならない用事の日にまで無断遅刻されてしまうと言った『ビジネスパーソンとしての常識がない』相手となると、完全に頭を抱えるものがあった。ただでさえ休みの日にボランティアで対外折衝しなければならない場面にまで二度目の無断遅刻をされた時には、もう集合時間になって来なかった彼を置いて目的を果たそうとしたことを覚えている(少なくとも無断遅刻を二度も待てるほど私は寛容ではない)。
しかし、そんな彼を前にしてふと思ったのだ。
「普段歴史修正主義者をぶっ叩くという活動はまぁ良いにしても、ちょっとビジネスパーソンとしての最低限のスキルに欠け過ぎではないか。これで労働者目線に立った活動ができるのか?」と。

有権者を変える前にまずお前たちが変われ

当の彼についてビジネスパーソンとしてのスキルが壊滅的であったため、現在の就業状況を聴いたうえで転職を薦めたものである。
「これじゃ労働者目線に立って考えるのは無理だろうな・・・」
そう判断した私はたまたま知り合った青年実業家の元へ彼を研修に行かせることにした。まぁ結果的に当の青年実業家の方に迷惑をかけるだけになってしまい、申し訳ない気持ちがあるのだが、彼の転職に関しては別の人にも協力をお願いして力になってもらうことがあった。だが、その人から貰った意見もまた「当の彼にやる気が無いです。向上心は無い人ですから、これ以上転職を促すのも酷でしょうね。」というものだった。
別の反自民系の人からも「基本的にリベラルはプライドが高い割に動かないから使えません。」と言われてしまい、まさかネットリベラルにはこんな人が一定数いるのではなかろうなという疑念がわいてしまうものである。
当たり前のことを言うと、選挙に行かない人達も多くは仕事をして、時間になったら出勤し、時に上司に怒られ、キャリアに悩んで転職活動をし、或いはスキル(給料)アップの為に勉強会へ行っているかもしれない。もしかしたら『政治以外のことをたくさん勉強している』という可能性だって大きいわけだ。
時折IT勉強会に行くが、参加者達は黙々と自分のアプリを作っていたり、時にプレゼンで自分の作ったサービスを発表したりと勉強熱心だ。
世の中には色んな専門性やスキルを持った人がいて、私自身はソフトウェア運用に強みを持っているが、ハードウェアにはあまり強くないし、ましてネットワークになるとほぼ無知に等しい。そんな中で職業生活においては自分のできない人の力を借りて問題を解決していくのだが、自身の専門性を持って問題を解決していくビジネスマンの姿はそれまた格好良いものである。
職業生活をしていくに当たってプライベートの時間も勉強しなければいけない世界と言うのは勿論あって、専門性を追求していくためにプライベートの時間を使っているのかも知れない。例え選挙に行かずとも、そうした労働者一人一人は確かに日本を支えているのである(それでも日本は衰退中だが・・・)。
有権者を見下す非難するといった手合いの人々は、こうした想像力が欠如していないだろうか。もしこうした想像力が欠如したまま「有権者は変われ!」というなら「まずお前たちが変われ!」という話である。
確かに政治は生活に直結する重要な存在であるが、だからと言って有権者が皆つねに政治のことを考えていられるわけでもない。そうした想像力を欠如したままリベラルが「投票に行かない愚かな有権者のせいで現政権の横暴が続いている!」というのなら、自民党は今後も安泰である。

中身(政策)で選挙に勝てると思っているうちは五流未満

神奈川県でも中井町やら二宮町やらに行くと、本当に自民党のポスターしか見かけない。ごくまれに共産党のポスターがあり、あとは公明党のポスターをチラホラと見るくらいだ。東京都でさえ羽村市まで行くと、もう自民党しか見かけないといったこともある。
なら都市部はどうだろう。たまプラーザではよくよく自民党の党員が募金活動などをしているし、県央で働いていた頃など毎週のように義家弘介の顔を見ていたものである。そう、自民党は普段の活動から地道にやっているのである。だから固定票がつく。しかし、そんな自民党だってよほどの知名度がない限り、有権者を露骨に見下せばあっさり野党に負ける。そんなもんである。
さて、今ポスターの話をしたが、果たして「喉元(選挙)過ぎれば暑さ(熱さ)忘れる」という状態になってはいないか。そしてまた選挙になって「なんでこの良い政策で負けるんだ!」という負けパターンに入る。現状のままで行けば次の衆院選におけるリベラルは、間違いなくこの負けパターンに嵌る。確かに野党は政策こそ良いものを掲げているが、しかし選挙は政策以外の面で9割が決まっているのだ。自民も維新もN国もここを良く知っているし、れいわ新選組も立憲も党としてはわかっているだろう。ただし、支持者は案外わかっていない、わかっていても受け入れられないのかもしれない。
では先の羽村市のような街で選挙があったとしよう。もし選挙が権利ではなく義務であった場合、リベラル政党は完膚なきまでに敗北するであろう。自民党のポスターしか街に無いのだから、いざ選挙になって「絶対に投票しなきゃいけない」という状況下なら「じゃ自民で良いや」になるのは明白である。
「良い政策を掲げて実行していく気満々なのに自民に投票して騙されに行くのは有権者が悪い!」
寝言は寝て言え。

プロモーションとソリューションを見直せ

思えば武蔵小杉で行われる瀬戸弘幸らの民族浄化デモを知らなければ、今もまだ私は政治と深く関わることなく川崎で、不貞腐れながら働いていたに違いない。
ああした在特会系のデモに危機感を感じ、大元を辿ってみると山谷えり子自民党議員が在特会との繋がりを指摘されるなど、安倍政権の存在がこうした息苦しい社会を作っているという結論に辿り着く。
『会社』の窓ガラスを一枚経た向こうの『社会』も知らなかったというのは半分は幸福であり、もう半分に嘆かわしさを感じるものであるが、その安倍政権を終わらせたいはずのリベラルが自分達の応援する政党に投票しない有権者を見下してしまう態度を見ると嘆息する。これでは永久に自民党は安泰であろう。
川崎でとある衰退野党の政党員に改善に向けた行動の在り方の提案で面会したとき、二名中の一人が偉く横柄な態度をとってきたが、なんでも私が「マーケティング」という単語を口にした途端、目元がピクピクと震えていたらしい。
「有権者に投票してもらいたいならマーケティングは大事だと言いますのに日本第一党に勢力図を塗り替えられるのをお望みのようですね。」としか言いようがない。
人間関係に関する本にはよく「他人を変えることはできないから自分が変わった方が早いよ」という本は多いであろう。実際、今のリベラルを見ているとその通りなのである。
「もし有権者の意識を変えたいならまず有権者にどんな発見・解決を提案できるのか考え、自分達の広報戦術を見直せ」と言うのが現状である。
私はここに書いたことは「当たり前のこと」しか書いていない。こうした当たり前のことに気付けずに今後も有権者を責める体質を改めないのだとしたら、リベラルは今後も選挙で勝てることは100%無いとお約束しよう。

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