そうだったのか!!:儒教と右翼思想を見てわかるブラック企業2️⃣

そうだったのか!!:儒教と右翼思想を見てわかるブラック企業1️⃣から

左翼による革命が成功した事が無い

何気なく呟いたこの発言が100RT貰えるのが意外だったが、この発言の後に「従業員同士でもサービス残業をさせる雰囲気を作ってしまうのでは無いか」というフィードバックをいただいた。
その通りである。
日本におけるブラック労働常態化の悪習が一つ、サービス残業。
思えばサービス残業も「サービスに対しては対価を払え」というのが私の屁理屈的な考え方なのだが、この「サービス」という言葉にいつの間にか「無料」という意味がつきまとうようになった。
前回の記事で儒教(朱子学)とブラック企業の関係は無縁では無いと書き、その源流には秀吉の朝鮮出兵があることを述べた。
とは言え、江戸時代はまだそこまで日本人の価値観も勤勉では無かったそうだ。
竹中平蔵とムーギー・キムの対談本「最強の生産性革命」で、竹中平蔵はマックス・ウェーバーの「プロテスタントの勤勉さが社会に近代化・工業かをもたらした」の発言を用いた上で「富岡製糸工場で勤勉に働いた工女は武士の娘だった」と語っている。
ムーギー・キムが言うように、町のお姉さんでは勤まらなかったと言うことだ。

マックス・ウェーバーの言う言葉をそのまま捉えてしまうと、日本では元々プロテスタントは無い。
だが、それまで少なくとも町民達はルーズであったそうだが、武家の中では儒教は教養として染み付いてる。当時の女性にどこまで儒教の教養が成されたかはわからないが、そうした家庭の空気というのは感じて育っただろうから、富岡製糸場の工女は十分に勤まったということだろう。

ここでそのそも明治維新とはなんだったのか考えてみたい。
明治維新とは一言で言えば「右翼による右翼のための革命」だった。
明治維新へと繋がる最初の一歩は大塩平八郎の乱だと思うのだが、この大塩中斎は儒教の学者である。
中斎の教えていた儒教は陽明学と言い、新儒教と呼ばれる朱子学と対をなす二大グループの一角だ。
と言っても今のネット保守が”右翼と思われるのが嫌だから保守を自称するようになった”ように、当時の陽明学者もまた、陽明学者と言わずに「孔子の教えに戻っただけ」と言っていたようだ。
この陽明学は明治維新を動かす水戸学にも影響を与えた。
さて、水戸学は陽明学を取り入れたと言ってもやはり朱子学の一派なので、彼らが勝つとまた朱子学らしいところに帰ることになる。それが「教育勅語」だ。
実態はともかく、発想として「天皇に政治を返させる(大政奉還)」という右翼的イデオロギーのため、決して民衆のための革命では無かったことに注意したい。
ちなみに戦後に陽明学を好んだ作家として有名なのは、かの三島由紀夫である。もうわかるだろう、陽明学は結果として右翼のための思想学として発達した。
今も陽明学を好むのは、経営者に多いそうだ。なんと言っても松下政経塾。
松下政経塾では陽明学を履修するが、そんな松下政経塾を出ている政治家達と言えば、丸山穂高(維新の会)、高市早苗(自民党)、前原誠司(国民民主党)と、バリバリの右翼政党が並んでいる。
そう。陽明学とはそういう学問である。

民衆のための哲学が根付かなかった問題

思うに、政治とは常に哲学とセットで考える必要があり、労働もまた哲学がセットでつきまとう。
しかし、先に見たように、儒教は朱子学、陽明学問わず、右翼のための学問になってしまったのが日本の大きな問題だ。
朱子学は権威的保守主義の思想として。
陽明学は破壊的革命主義の思想として。
どちらをとっても労働者の方を向いていない哲学であるという事は、疑いようも無い。
朱子学は縁故資本主義と相性が良く、だからこそ教育勅語は安倍政権で息を吹き返したと言えるだろう。
同時に、陽明学はネオリベラルと相性が良い。それによって起こされるのは規制緩和であるとか、聖域なき構造改革というものである。
別に陽明学がネオリベのための学問というわけでは無いのだが、結果としてネオリベラルのための哲学に進化してしまった陽明学。
権威者にとって都合がよく、無意識のうちに大衆に刷り込まれた朱子学。
こうした儒教の不幸がミックスされ、終身雇用が崩壊してきたことで、ブラック企業というのもが顕在化してきた。
その解決策は民衆のための哲学を根付かせることにあると思うが、果たしてその哲学が日本に浸透するまで、何世代かかるのか。まだまだ先は険しいだろう。

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