ネオ大正-平成を振り返る

平成という時代はネオ大正と呼ぶのに相応しい時代であったと思っている。
落合陽一はネオ昭和と呼んだが、平和で全盛期な状態からスタートし、95年〜97年にかけてこれまでの日本の常識が崩れはじめ、東日本大震災と共にいよいよ暗い時代が本格的に幕開けとなった。
安倍政権が政権について早5年。良くなるどころか大日本病という病が進行し、次の時代こそがネオ昭和になるであろうと思っている。

そんな平成時代を芸能という観点から見つめ直してみたい。

米米CLUB全盛期だった平成初期

平成初期で人気を誇っていたであろう歌手が米米CLUB。
「君がいるだけで」は歴代売り上げシングルでも5位を記録しており、叔父はよくカラオケで歌っていた記憶がある。
米米CLUB以外ではCHAGE & ASKAが全盛期で、SAY YESとYAH YAH YAHだけで約500万枚を売り上げるなど、数年前のASUKAの事件を思うと想像もつかないほど活躍していた時期だ。
この時期はとりわけアイドルグループが人気だったような記憶がなく(あくまで記憶の問題だが)、今のようにAKBが隆盛を極める未来など想像だにしなかったのは確かだ。

不景気と共に成長したアイドル産業

私が中学〜高校時代に人気を博したのがモーニング娘。だ。
あの当時、なぜ彼女達が人気があったのか全くわからなかった。
当時の私は彼女達の人気に対して否定的だったのだが、今思うと人気が出たのは必然だったのではないかと思っている。
20世紀最後の年に空前の大ヒットを起こしたLOVEマシーンは、世のお父さん達すら虜にしてしまった。お父さん世代をアイドルファンへ引き込むことに成功したと言えるだろう。
今にして思うと、LOVEマシーンは愛国ソングでもあった。音楽と政治が結びついた時で、安倍総理もLOVEマシーンを賞賛している。
「ニッポンの未来はWow Wow Wow Wow」とか「世界が羨む」とか、かなりの空元気なのだが、それでもその下地というのは十分にあった。

現在の大日本病の根底には、サリン事件へのアンチテーゼが出発点としてあると考えている。
加えてカルロス・ゴーンの主導した日産の大量解雇、山一證券倒産、少年Aと連続して不幸が続き、95年〜97年における3年間を「日本の常識が崩れた3年間」と私は呼んでいる。
芸能の世界でも入れ替わりがあった。
そう。米米CLUB1期が解散し、モー娘の時代へと切り替わる頃だ。
丁度この3年間は今までの「強い日本」が崩れた3年間であり、それと共に芸能の流行も変わったのだろう。

「失われた20年」だとか人によっては30年と言う人もいるが、その後もネオ麦茶事件であるとか、9.11と言った惨事が続く。
思うに、初代のアイドルマスターはモーニング娘。をモチーフにしたものであった。
現実かゲームかと言う違いはあれ、やはり人はアイドルに熱中したいものがあったのだろう。もちろんアイドルマスターは現在にも尚続くロングコンテンツだ。
そして気がつくとモー娘。と入れ替わるようにAKB系が勢力を誇っていると言う感覚で、これによってアイドルマスターシリーズもAKB的な要素を持つようになったと言える。

ラブライブ!は現代日本的

芸能とは離れるが、思うにラブライブ!と言う作品は非常に現代日本的で、μ’sもAQUOSも廃校寸前の学校を再建させると言う目的でスタートするところが、まさに現代日本そのものな気がしている。
廃校寸前(または確定)の高校が今の日本国そのもののような気がしており、μ’sは再建だが、AQUOSは再建をしないと言うところだろうか。
そう考えるとヒットしたのは自然と言えば自然だと思っている。


 

次は本当にネオ昭和

平成の次の時代。
今度は本当にネオ昭和になるだろう。
恐らく憲法改正を阻止することはできず、軍靴の音が聞こえ、愛国ソングが流行りだす。
少なくともLOVEマシーンでその種まきが行われ、RADWIMPSのHINOMARUで華が咲いたと見ている。
あれは一本の線で繋がったものであり、決して別のものではない。
果たして憲法改正後にはどんな楽曲が流行るのか。
元々芸能に関心が薄い私は、これまで通りに薄いままにしておきたいと思うものである。

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