かつて親しんだ芸能人が右翼化するキツさ

ご長寿早押しクイズで親しんだ鈴木史朗。バイオハザードの名人としても知られる彼なのだが、そんな彼が右翼化していると知ってショックを受けた。
あの物腰の良い紳士的な雰囲気の鈴木史朗が、まさか南京否定論を展開していた事に肩が凝り、頭痛を覚えるものがある。
私は政活をしているメンバーに「反歴史修正主義とやらは得票に繋がらないから、他のイシューで戦った方が良い」とはよく言うのだけど、流石に南京事件を丸っと否定するのはいかがなものかと感じている。

南京と言えば三笠宮親王がこのような発言を残している。

「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(読売新聞社「This is 読売」94年8月号)

戦時中、日本軍が戦地で非道の限りを尽くしたことは、慰安婦に関する水木しげる氏の他、中国戦線に関する近藤一氏が著書の中で多くの証言を残している。
そうした当時の日本軍で従事していた兵士の証言はアジア各国の被害証言と整合性の取れるものであるし、否定するのは厳しいだろう。
とは言え、かつて日本軍で戦地を見てきた彼らより、芸能界や文界で今も活動している小林よしのり、つるの剛士、鈴木史朗と言った面々の方が影響力が大きいわけで、結局のところ市井の人の多くは彼らの発言を検証することはなく影響されるのだろう。

第二の戦前を迎える中で

私は今、日本は既に戦後ではなく、次の「戦前」に入っている時代だと思っている。
2010年頃から何となく次の戦争の気配を感じているが、石原都政の「尖閣購入」の話からだんだん戦前色が強まってきたように思える。
安倍総理の「中国包囲網」はまさにその延長みたいなものであったし、彼がLoveマシーンを絶賛した辺り(何故かその現象が音楽の政治利用と言われない不思議)、本当は2000年にその種子は撒かれていたのだろう。
東日本大震災からの流れも戦前の関東大震災からの流れによく似ていて、違いがあるとすれば今の日本はアメリカの植民地であると言う違いくらいか。
だから次の戦争はもうデザインされているだろう。アメリカによって。
およそアメリカがデザインしているであろう、日本の次の戦争だが、本来ならそれを唯一食い止めるのが憲法改正の阻止である。
それが分かっているからこその、皇室が安倍政権に抵抗しているという事態が起きているのだが、天皇が芸能人より一般の人々に親しまれているかと言えば、それもないように感じている。
改憲の国民投票に持って行かれるまで、そう時間はないと思っているが、その時間では先の大戦を一般の人に検証させるレベルに到達するには不可能だろう。
ネットではなく、きちんと戦地を生きた兵士の証言を読ませるには、まだまだ長い時間が掛かりそうである。

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