いわゆる[社会]とは何か?-明星大学の講義から考える2️⃣

いわゆる[社会]とは何か?-明星大学の講義から考える1️⃣から

「政治」とは何かを『表現』する

一応、私はTwitterで色んな政治系グルチャに呼ばれてはWEB運用やSEOの相談を受けている身である。
全体的に日本人は政治離れしている気がするが、実際問題として社会民主主義を目指す政党のビラ配りなど、かなり一般人から煙たい顔をされるという報告も受けている。
そこで話したことの一つとして「案外左傾化させるのは現在ネット保守をやっている人間の方がハードルが低いかも知れない」ということだった。
というのも、本当に政治が嫌いな人は「政治という単語を聞くのも嫌」なのであり、その点で安倍政権信者の方が、政治には興味を持っているという状態だ。
極端な話、今「俺は共産党が嫌いだ」と言っている手合いの方が、案外共産党に後で傾く可能性が高いという事である。
と言っても、それは説得によって共産党支持者に変えるのは難しいから、ここで我々は考えなければならないのだ。
「そもそも政治とは何だ?」
ということを。
同じグループにいる熟練のJAVAプログラマーは「政治というのは社会で起きているものの一つ」と言っていた。
つまり、政治というのはある社会活動の一環として行われる存在なのだということだ。
では、その社会活動とはどんな社会活動なのだろう。
誰の発言か忘れてしまったが、Twitterでわかりやすい表現があった。
「政治とは税の回収と再分配を行う社会活動である」と。
そこで山中准教授の「COPERU 実践報告:コードとアイディアを創発する組織的環境づくり」の講義に立ち返って見たい。
「”考える”ということを”考えるという言葉を使わずに言い表す”」ということ。
「考えるって何でしょうね?」
ここを踏まえ、政治とは何だろうということ。それを政治という単語を使わずに言い表せたものが、まさに「税の回収と分配を行う社会活動」だったのだ。

何のために初等教育を行って何のために高等教育をやるのか

山中准教授のCOPELの講義では、改めて初等教育や中等教育、高等教育がそれぞれ何のために必要なのかを再認識した。
我々が実社会に出る中で、確実に出くわすのは「答えの存在しない問題」だ。
一方、初等教育や中等教育では、明らかに答えの存在する問題(テスト)が出題される。
「テストって何でやるんでしょう。それは問題を解いて欲しいからですよね。じゃあ何で問題を解いて欲しいんでしょう?」
その存在理由というのは、得てして高等教育における基礎知識を習得するためであることを確認した。
いわば大学というのは「答えの存在しない問題を研究していく」ための教育機関であり、その問題に取り掛かるに当たって、前提となる基礎知識を学ぶのが初等教育や中等教育なのだ。
そう考えると、学校でやったことは確かに無駄では無いことはわかる。
例えば政治や社会について考える時、確かにベースは「公民」なのだ。日本の残念なところは「公民」が「皇民」に置き換わってしまっていることだが、少なくとも『三権分立』は公民で習ったことであるし、言ってしまえば会計士試験や行政書士試験で出てくる民法ですら、公民である程度習うだろう。
ちなみに私が居酒屋ランチで寿司を食いたい外国人観光客に注文の仕方を教えた(厳密には寿司を注文できない時間帯だったのでカツオのタタキを提案した)時、使用した言葉は中学一年生の英語なのだ。
だから初等教育や中等教育でやっている勉強というのは、必ずしも無駄では無いのだと言うのは感じている。

改めて「社会」とは何なのか-各々が探求すべき永遠のテーマ

では改めて、そもそも社会とは何なのかと言うことを考えてみよう。
正直なところ、これは簡単に答えの出せない永遠のテーマでは無いかと思っている。
例えば契約というものを何かを聞かれた時、契約という言葉を使わずに言い表すことはできる。
「契約とは分かり合えない他人同士が妥協点を見つけて合意・約束を結ぶ行為」と私は答えるだろう。
個人的に社会とはこの契約によって成り立っている気がするのだが、それがまんま社会と言えるかといえば、それはまた違う気がするのだ。
昔読んだ本で『暴走する「世間」 世間のオキテを解析する』という本がある。個人的にこの本は全ての日本に住む一員必読の書だと思っているので、是非ご購入をお勧めしたい。
佐藤直樹氏はこの著書で「日本には社会が無い。世間しかない。」と述べている。
日本という国家には法律という名のルールがあり、自治体には条例と言う名の明文律がある。ところが、いざ会社に入ってみると、不文律がたくさんあることが多い。
例えば飲み会が代表的だ。少なくとも日本国の法律でも都市条例でも、飲み会の参加を義務付けるようなものはない。会社の就業規則でも「会社の飲み会は必ず参加すること」と書いたら、それは業務時間になって残業代の対象になるだろうから、まず書くまい。
だが、不文律としての社員の掟では、暗に参加を強制するチームもあるだろう。
こうした村的な気質がまさに「世間」であろう。
果たして社会とは何なのか。社会人とは一体何者なのか。
その「社会」を定義できるようになるにはまだまだ時間が掛かり、長い旅路となるだろう。

Script logo