東京の閉鎖性:尊王攘夷はレイシズムを内包していたか2️⃣

靖国神社を潰さなかったGHQの失敗

東京も今や生粋の江戸っ子は希少種である(京都とて生粋の京都人は希少であるが…)。
今の東京に多いのは東京人ではなく「上京人」であり、進学や就職に伴って東京に引っ越してきた者、あるいはその二世が殆どである。
160年前まで日本は江戸時代であったが、江戸時代はLGBTには概ね寛容な社会であり、今と比べると日本人もかなり不真面目であったと言えよう。
それが転換点を迎えたのは明治時代になってからである。

思うに、私はGHQの最大の失敗は靖国神社を潰しておかなかったことであると考えている。
一部の人間は靖国神社を「田布施神社」と呼ぶ者がおり、言い分としては「あれは田布施出身者が持ち込んだ朝鮮式の宗教施設だ」と言うものである。
流石に朝鮮式の宗教施設と言うのは些か違うものではあるが、しかし靖国神社の考え方そのものは朝鮮朱子学の考え方に近いかもしれない。

だいぶ昔に話題になった森友事件では教育勅語が児童に叩き込まれていたということがあったが、教育勅語を作ったのは朱子学者であり、元より明治維新に関わった者はこれまた「水戸学」という、朱子学の一派の影響を強く受けている。ここでタイトルの「尊王攘夷はレイシズムを内包していたか」という問題になるが、これは勿論内包していたと言わざるを得ない。
それは明治維新の前身たる尊王攘夷活動が何をしていたかを見れば、明らかである。

尊王攘夷運動と言う名のテロ活動

明治維新の前身たる尊王攘夷運動とは一体何をやっていたことであるか。
一言で言えばテロ活動である。中でも異人斬りはよく行われた蛮行の一つだ。

異人斬りに関わっていたのは水戸藩士が多いが、長州、土佐も並んでおり、これに薩摩を加えれば、今の政府の要人を輩出する藩が並んでいる(ただし薩英戦争の原因になった生麦事件は攘夷とは無関係だが…)。
即ち尊王攘夷とは外国人排斥がセットで行われているテロ活動であり、薩英戦争を転換に幕府を倒して「江戸を全否定する」という方向に変わっただけのことである。
幕府を倒した後に明治政府は江戸を東京へと改称し、天皇を御所から江戸城(現皇居)へと移住させ、征韓へと進むが、征韓論の原型は吉田松陰にあったと言われる。

こうして簡単に振り返って見ると、今日の日本におけるヘイトスピーチの原型は明治維新に土台が出来上がっていたと言って良い。
明治時代から現代に至るまで、時代を変えて差別の在り方も表面的な部分は変わっているのだが、根っ子の部分では大きな変化は無いのかもしれない。

京都に移って川崎勤務時代を振り返ると、何故あのような争いの中に身を置くことになったのかと考えるが、そもそも東京は明治政府が江戸を全否定して作った街である。
明治維新の前身となった尊王攘夷運動自体が多分にレイシズムを内包したテロ活動であり、そうしたことをしていた人間が作ったのが東京にして、今も歴史観のベースとしては彼らの価値観が継承されているのなら、それは閉鎖的なものになって何ら不自然は無いと言えよう。もちろん、それだけが閉鎖性の理由と言う気は無いが、前提として江戸の全否定の上に東京があるということから考えると、1000年の歴史の積み重ねの京都とは大きな違いがあり、東京の中にある「日本らしさの象徴」の1つに靖国神社がある以上、根本的な解決はなかなか遠いのではないかと考えてしまうものである。

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