くら寿司のその後を見ればわかる:日本人は自分達の人権にも関心が無い⓶

不買運動も盛り上がらず

寿司はスーパーで半額のもので充分有難くいただいているから、私は元々回転ずし屋に行くことはないのだが、かの事件があって「くら寿司なんて絶対に行かない!!」という不買の誓いを守れている人は果たしてどれだけいるだろうか。
勿論それを守れなかったとして責めるつもりもないが(安易に回避するのが難しいくらいには店舗は多いため)、しかし今日も消費者は家族でニコニコしながら炙りチーズを食しているのが今日の日本の現実である。

こんな記事を書いている最中にハシモトホームでも営業成績トップ3の社員に侮辱的な賞状を送っていたことが発覚した。まぁ不動産業界はブラックな会社が多いため、そうした事例は掘ればまだまだ他社でも出てくるであろう。
尤も、佐川急便でも営業成績ビリのドライバーは皆に晒され続けるのは、埼玉勤務時代に目にしている。

誰もが通る廊下に営業成績ビリであることが掲示され続けるし、或いは物流センター内で暴力が起こることなど茶飯事であった。
今の佐川の体質が変わったか否かはわからないが、もしあの当時のままとして、では「佐川急便不買運動」をやったら乗っかる人はいるであろうか。まず乗っかる人はいないだろう。
佐川急便を不買しようと思ったら、まずAmazonや楽天市場の利用を止めなければならない。
Amazonの利用を止めろと言われて賛同する人がいるかと言えば「No」であろう。
人間、一度「便利さと言う名の快楽」を手にしたら、それを安易に手放せるものではない。例えその下にどれだけの労働者が犠牲になっていたとしても、やはり消費者はAmazonを使い続けるのだ。

くら寿司は便利さとはベクトルが異なるが、しかし「食を通じた快楽」を消費者が得るわけであり、目先の快楽の為には労働者の犠牲など簡単に目を瞑れるものである。
東京オリンピックにしてもそうだ。
新国立競技場建設に当たって若い現場監督が命を落としているにも関わらず。多くの国民はその若き命を「自分の記憶から抹消した」のである。スポーツ選手が織りなす「感動と言う名の快楽」の為に、若き現場監督が命を落としたことは「無かったことにされた」のだ。
今後も立て続けに社員が命を落としていく事件は出てくるであろう。そしてその度に不買運動は「ごく一部の界隈」でしか盛り上がらず、大半の消費者の中で労働者の犠牲は「無かったことにされる」のである。

そして自分達の人権にも関心が無かった

消費者としての日本人が労働者に対する人権には無関心なのだが、その延長には「労働者としての自分に対する人権意識の無関心」が続いている。
東京で働いていた時、こんなことがあった。
新宿に本社を構える派遣会社Aに登録し、池袋のコールセンターT社にて業務を行う仕事に就く時、同期が3人いたのだが、この時の労働契約の内容がおかしかったのである。
届いた契約書の表題にはこう書かれていた。
「業務請負契約書」と。
そして初めての賃金支払いの時は「給与明細」ではなく「お支払明細書」と書かれた明細が届いてきた。
この時の契約書の内容があまりにもおかしかったので、4人中、私だけ契約書を返送しなかったため、派遣会社のコーディネーターからお叱りの電話が来たのである。

「契約書を早く返送して欲しいのですが…」
「内容がおかしいので返送できません。」
「内容がおかしいというのはどこを指して言ってますか?」
「派遣先の命令で業務をやるのになぜ労働者派遣契約書ではないのですか?」
「それは当社とお客様の契約が業務請負契約なので…」

とまぁ呆れたものであった。
即座に営業担当へ電話を寄越させ、私の契約に関しては「労働者派遣契約」へと直させ、他の3名に対する契約も適法な契約に変えろと要求したが、結局のところ私だけが適法な契約に変わったのみで、他3名は違法な契約が維持されたままであった。
その事態を知って、約束を反故にした営業担当に一泡吹かせてやりたかったところであるが、騙されて側の他3名が「今のままで良い」というので、営業と争い続けるのは止めた。この経験から私は自ら権利(自由)を勝ち取ろうと考えない人間は見捨てることにしている。

こうした違法な就労形態と言うのは、今も多くの会社に残っていることだろう。
それでも労働者は戦ってこなかった。多くの労働者が自ら「ブラックな労働に染まる」道を選び、会社と戦う選択をしないのである。それは自らの人権に対しても無関心でいるということであり、くら寿司の消費者が今日もニコニコと炙りサーモンや炙りチーズを食べ続ける世の中となっているのである。

 

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