「#0112新宿プロテストレイヴ」から見えたリベラルの衰退と分裂❷

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20代の若者がいない

新宿プロストレイヴの現場を見た悲しい現実の一つが、20代の若者がいないということであった。SEALDsメンバーの影響力低下が非常に大きい。
「横浜センチュリー」というサイトで速報を出した後に「女性の参加者は多かったよ」というフィードバックをいただいた。そう、確かに女性の参加者はとても多かった。
ただ、それでも20代の若者という前提に立つと、男女共に殆ど姿を見なかった。デモの参加者の主軸は団塊世代とロスジェネ世代の二つだ。バブルの恩恵を受けたであろう40代後半から50代は少なく(ここはネット右翼が多い世代)、企業で課長職についていそうな年齢層(概ね40代前半~中盤)もそんなに多くはない。やはりメインは小泉・竹中改革で色んなものを失った人達だ。
つまるところ、20代の若者の声は全く反映されていない。尤も、これはTwitterの世界でも起きていると言えよう。
ではなぜ若者がいないのか。これは今の30代中盤以上と20代には認識の大きな「ズレ」があるからだ。そもそも今の若者は政治に参加したがらない。というより、参加する意義を全く感じていないのかもしれない。その理由を三つ挙げる。

㊀遵法意識の浸透⇨統制社会の過ごしやすさ
㊁公助共助よりも自助
㊂高齢者へ感じる強い不公平感

この三つが若者を政治から遠ざけていると考えられる。
まず遵法意識の面であるが、今の若者は就職をする際、最初からコンプライアンスの浸透した社会下で会社勤めを開始する。
残業制限なんて今や45時間を超えさせないのは当たり前だし、出退勤をパソコンでログ取っているため、ハード面で出退勤時間の改竄をしにくい環境になってきた。逆に言うとハード面でサービス残業を阻止する仕組みがあるため、長時間残業を抑えることができる。
加えてコンプライアンス教育が徹底されていくことで、セクハラ、パワハラ、アルハラなど、あらゆるハラスメントが防止され、かつコンプライアンスの専門通報窓口まで完備された企業も珍しくない社会ともなれば、いかに90年代無茶苦茶やれた上司でも懲戒を恐れて露骨なハラスメントはしなくなる。雇用の男女差も少しずつ垣根を越えて、女性の新幹線運転士や海上自衛隊の艦長も生まれれば、男性のフライトアテンダントが大手航空会社で採用されるようになった。

これらの社会を見ると、政治腐敗や賃金の面を一切無視した場合、確かに日本社会は「良くなっている」のである。
ところで「コンプライアンス」という言葉には「法令遵守」という訳し方が一般的だが、一方で「服従させる」という意味合いもある。
さてコンプライアンスの浸透によって何が起こったかと言えば「統制社会の心地よさ」である。実際問題、コンプライアンスによって統制された方が、上司も懲戒を恐れてハラスメントをしてこなくなった。これは多かれ少なかれ民主主義への疑問を抱かせるのにも少なからず影響力を及ぼしていると考えられる。

次に自己責任論だが、これはネットビジネスの影響力が大きいのではないか。もともと日本では松下幸之助や本田宗一郎が異様に神聖視されてきたが、今の世の中ではそれが堀江貴文前澤友作に変わった。小泉政権が推し進めた自己責任論をより強固にしたのが民間事業者部門で、しかもIT化がもたらした罪悪の面として、ネットビジネスが横行したのもある。
インフォトップに並ぶ高額塾などのランディングページはさも「俺は貧乏だったけどここまで這い上がれた!」みたいなストーリーが並べられ、あたかも「誰でも稼げる!」ということを謳い文句にした怪しい商品がたくさん並ぶ。それでなくとも「終わってるのは日本じゃなくてお前!」という発言が一定の賛同を得るように、よもや「国家に頼る=悪」の風潮ができつつある。
加えてネオリベラル的思考は民間企業で生き抜くには最適かつ最強な思考法であるため、ますます公助や共助への理解から離れ、若者の政治離れを促したのかもしれない。

最後に若者に見られる特徴としては、高齢者に強い不公平感を感じているということだ。
ただでさえ自分達が高齢者に入る段階では、公的年金を受け取れない可能性がある。下手すると高齢者の定義が変わってしまい、高齢者になる前に人生が終わってしまう危険性の方が高いわけだ。
一方で現在の年金方式は賦課方式。現役世代が今の高齢者を食わせている立場だ。若者からすれば「俺たちは年金貰えないかも知れないのに今の高齢者を食わせてやってるんだぞ!」というのが出発点なのだ。若者の安倍政権支持率は高いと聞くが、それは「アンチ高齢者」の裏返しであろう。自分達が公的年金を受け取れない可能性が高いからこそ、今生きている高齢者に目に物を見せてやりたいという感情が、どこかしらある。それによって社会福祉削減に対しては躊躇が無い。こうした要因が若者が政治に参加する意義を感じない要素ではなかろうか。政権支持率も依然として高いままである。

90年代に何かを忘れてきた僕たち

いくつかの要素を見ると、ネットでもリアルでも、政治に対して声の高い面々が「90年代に何かを置いてきた人達ばかり」なのだ。
先に「政治腐敗や賃金低下の面を見れば日本は確実に良くなっている」と述べた。それは「コンプライアンスという統制社会のもたらした恩恵」という面が大きい。
例えば2019年はMeTooが盛り上がった年だが、その中で日本で起きたKuTooはどうだろうか。

「女性が会社でパンプスを強要される時代とかいつの話?」
「むしろ女性は私服可なオフィス多いんですけど」

という具合で、このフェミニズムの考え一つとっても20代と30代では価値観に大きなズレがある。
SEALDsメンバーの開催したイベントで彼らのトークセッションを聴いた身からしても20代の価値観はモダンだ。
「もっと男も女も楽になろう」
というのが彼らの打ち出していたことだったし、LGBTに対する心のオープンさも彼らは今の30代よりずっと上。最先端を行っているのだ。
そもそもSEALDsがなぜ話題を取れたか、たくさんの人を集められたのかと言えば、彼らが単に若者というだけではなく、SHIBUYA系の若者だからだ。
サブカルチャーではなくてポップカルチャー。AKIBA系ではなくてSHIBUYA系だったからこそ、リベラルではカリスマ性を発揮でき、方やネット右翼から大変嫌われたわけである。
そんなSHIBUYA系ポップカルチャーの若者がいなくなった時、後には「90年代に何かを忘れた僕たち」しか残らなかった。その「90年代に忘れ物がある人達同士でいがみ合っている」のが今の現状だから、当然若者の意見など反映されているはずもなく、政治の現場には大きな「ズレ」が生じているのである。

 

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