現代の恋愛・結婚市場は資本主義の仕組みがよくわかる❷

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恋愛が資本主義的な動きをしている以上、ゴールに辿り着くためにはマーケティングが必要だ。
昔の日本ならお見合いやら地元の友人やら、何かしらの縁故で結婚できたのだろう。ところが核家族化が進み、90年代以降で自由恋愛の気風が進めば進むほど、恋愛にマーケティング力は要求されるようになる。いや、それでも日本が豊かだった時代は、クルマというものが恋愛に近付ける一種のアイテムだったと言えるだろう。だからある意味、カッコいいスポーツカーを武器に男は女性にアプローチできた。世間的なコンセンサスも「男は女にアタックしろ!」なコンセンサスで動いていたから、とりあえずカッコいいクルマを持ち、プラスα的な要素としてブランド物のスーツであるとか、ネクタイなんかを身に着けていれば、とりあえず「交際」に漕ぎつけることは可能だったのだろう。

さて、時は小泉政権、私自身も小泉純一郎はとても支持していたが、正に「新自由主義」の時代が到来する。
この新自由主義、何をもたらしたかと言えば、派遣労働/非正規化の拡大、貧富の差の拡大、自己責任論調の浸透が起きたということだ。特に私を新自由主義思想に走らせるのに大きな影響を及ぼしたのはドラゴン桜であるが、新自由主義(ネオリベラル)志向の人間は努力しない人、結果を出さない人を絶対に評価しない。
「勝ち組・負け組」などという言葉もこの時代辺りから聞くようになったが、正に負け組に対する人権意識の無さは有名なITベンチャーの起業家達を見れば、なんとなくわかるのではないかと思う。

クルマを買えなくなった「非モテ」達 

小泉純一郎の政権から貧富の差は更に拡大を続けたため、かつて『恋愛のブランディングツールとして使ったクルマ』が、もはや手の届かないレベルになる人が多くでる。
『生活用品としての自動車』を持っているだけで、その維持すら精いっぱいな人が出てくるのだから、下手すると「自動車を持たない」という選択も都会では充分ある。経済で格差が広がる一方、人々の恋愛や結婚に対する意識が90年代と大きく変わったのかと言えば、そうではない。結婚や恋愛に関する価値観は男女ともに90年代のままなのである。

需要の面で見ても、男性はどこかで「相手(女性)より年収が高くなければいけない」という強迫観念を持っている。 それ故に高年収の女性が未婚率の上がる事態となってしまい、逆に男性は年収が下がれば下がるほど未婚率が上がる。男性は年収が下がることによって自己肯定感も低下する上、普通に職業生活をしているだけだと異性との出会いのチャンスそのものが無い職場も多いから、ますます持って富は特定の男子に集中しやすい構図となった。
極論だが、このような社会的情勢、資本主義化した恋愛市場では「非モテのイケメン」も実はいたりする(というかTwitterでそんな人を顔写真付きで見た)。
しかし、世間の意識はまだまだ「非モテ=存在自体が不快なオタク」という認識があるのかもしれない。
クルマを買えた時代はクルマが女性を運んできてくれた。しかし、クルマがなくなり、自分自身で勝負しなければならなくなった時、露頭に迷った男達はたくさんいるのだ。そうした面々が非モテの実態として存在したりするのである。

非モテに対する風当りと自己責任的風潮 

「Twitterフェミニストはネオリベと親和性高いから・・・」
そんな声がTwitterでは少ないながらも存在する。
実際にネオリベラルに属する私から見るとネットフェミニストがネオリベラルとの親和性が高いのかは疑問に思っているのだが、ある種特融の資本主義的感性や劣等感と優越感を併せ持ったかのような思考は近しいものがあるのかもしれない。
例えばネオリベラル系の人間は『結果を出せない人』に対する人権意識は皆無だ。結果がすべて。結果さえ出せれば人間性は要らない(だからAI化によって労働者を排除することも躊躇がないとも言える)。親しい人以外は人間とすら思っていない人も多いかもしれない。と同時に、ネオリベラル思想は少数民族や被差別マイノリティがマジョリティに復讐するための思想としてもおあつらえ向きな要素があって、ある人はそれを「幸福の緊縮化」と呼んでいた。

一方、フェミニストはどうなのだろうか。いや、一口にフェミニストと言っても年代別に思考が違うのだろうが、今ネット上で一般的にフェミニストと言われる人のボリュームゾーンは、概ね40代以上が多いと考えている。これは大企業で課長職に就いていそうな層の年齢だ。この年齢層の人間は概ね1990年代で新卒入社しているため、ネットフェミニズムの思う女性差別がこの1990年代の価値観をベースにしている可能性が高い。そのため、ネットフェミニストの主要人口は40代、次いで50代前半か30代後半辺りが多いのではないかと見ている。
『1990年代入社組は普通に生活していればまぁ結婚はできた』というギリギリの層とも言えよう。そのため『普通に生活していたら結婚できない非モテの気持ちが分かり辛い』というものがある。また、男女共に『普通に生きていれば自動車も買えたし結婚もできた』というギリギリの年代であるが故に「結婚に当たってマーケティングが必要になる」というのを実感せずに40代まで生きたのではなかろうか。
方や今の若い世代は男女共に年収200万円時代を生きている。まぁ都内のIT企業正社員なら400万円は行くかもしれないが、残業量なども見ると決して余裕のある暮らしはできない。
「結婚せずに一人でいた方が楽・・・」
そんな若者も多い。しかしオープンソースカンファレンスでオミカレのセミナーを受けてみると、男性は50代に入ってから婚活を始めるような人もいたりする。尚、女性は30代がピークだ
やはり歳を取ると「このまま人生終わるの嫌だな。せめて誰かを大切に思って人生を終わりたいな。」であるとか「最後くらい誰かに看取られて往生したい・・・」という考えが芽生えるのであろう。「一人で居ることが楽であること」と「一人で人生を終えるのが辛いか辛くないか」は別物なのである。
そして「一人で人生を終えるなら今勇気を振り絞って結婚の為に前に出よう!」と思った男性が、重い腰を上げてようやく結婚に向けて歩みだす。
繰り返すと現代の恋愛・結婚は資本主義だ。資本主義において少ない元手で勝利を掴むには、マーケティング力は必須である。当然データ分析も必要に応じては行うべきだし、傾向を導き出して対策を練ることは大事なことだ。ところがそれを行おうとすると見事にバッシングを浴びるわけだ。

ネオリベラルは政治面で取り分け財政出動を嫌うために『共助や公助より自助!』という自己責任を押し付けてきた。
「え、生活保護とか今まで努力してこなかった人に税金出すのとか嫌なんですけど?」
「教育無償かとか言って、財源どこにあるんです?」
「いや、健康保険とかもう民営化で良いでしょ。社会保障は国の財政を圧迫する諸悪の根源。国の破綻を防ぐために削減すべき。」
「そういや自衛隊の中東派遣が決まったし、○○社の株でも買っておくか。」
と、考えてもみれば確かにネオリベラルの好む論調は人命や人権より金である。金が一番大事であって、人間は二の次であった。
そして勇気を振り絞って婚活市場に出ようとしている非モテ男性に向けられる視線や言葉はどうであろうか。
「(非モテの)お前に近寄られる女性が可哀想」
「お前なんか結婚しなくて良い!」
「お前のやってること(データ分析)は女性への人権侵害だ。やめろ!」
とまぁなかなかの人権侵害っぷりだが、これは果たしてネオリベラルが生活保護受給者や低年収者に向ける視線や浴びせる言葉とは確かに近しいのかもしれない。

昭和期の男性は人権意識に乏しく、それはまぁ女性に対するセクハラも散々やってきた。それは平成に入ってからも暫くは続き、女性専用列車も必要なほどに男は女性を散々困らせた。それは間違いのないことである。そして2000年代に入ってから徐々に制度を改善し、コンプライアンスの浸透もあって、大きな企業では露骨な女性差別というのは見なくなってきた。とはいえ、恋愛における男女感はまだまだ1990年代のそれを残しており、こと恋愛や結婚に関して非モテの男性に向ける視線、浴びせる怒声はある意味で自己責任論の振りかざしなのかもしれない。
左派政治活動に参加する20代の若者達の取材をしたことがあったが、ジェンダー感としては「もっと男も女も楽になろうよ」というものにシフトしていた。
派遣労働や非正規化の促進で皆、収入の下がった身だ。高額な大学の学費の返済もある。実質賃金が低下した若者は男女共に大変な経済状況を過ごす中で「男だ女だとかに縛られず、どっちももっと楽になれた方が幸せなんじゃないかと思うんですよ。」ということを言っていた。LGBTの当事者のトークを聴くこともでき、そんな彼らが社会主義活動に参加していたのは、ある意味で納得のいくものでもあった。

現代の恋愛・結婚は資本主義だ。
持たざる者が持つ者になるためには、市場分析、営業活動は必要不可欠だ。特に営業活動は勇気もいる。
「街コンに出るとですねぇ、大抵勝つのは営業職ですよ。」
オープンソースカンファレンスでセミナーを行ったオミカレの講師の言葉を思い出す。
その中で勇気を振り絞って婚活市場に行き、幸せになるための最適な解を導くためにデータ分析を行い、傾向を割り出す。
それに罵倒や中傷を行っていたアカウントのツイートを遡ってみると「ネオリベは害だ、嫌いだ」と言っていたりもする。しかし、やっていることはネオリベラルの論調が非モテ男子に対するものに変わっただけではなかろうか。それではネオリベラルの私とさして変わりはないし、もう少し「恋愛が相場で決まる熾烈な資本主義になった」ということは認識を持ってもらった方が良いのではないかと、私は思う。

 

 

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